30w~35w リトドリン(ウテメリン)点滴開始!
21週から入院して早二か月(いや、体感的には遅かったか)。自己流早産対策と膣洗浄のおかげで丸2ヶ月無事に過ごせました。
妊娠30週になり、もうすぐ早産と言われる状況から抜け出せそうな週数になってきました。この頃になると、気持ち的にもゆったりしてきます。
これなら正期産まで持ちそうだ! そう、そんな時期でした。
ついに壮絶点滴生活へ(30w0d~35w6d)
私はおそらく副作用がよく出てしまう体質だったのかもしれません。
手の震えがひどい人は、ご飯をスプーンで食べるらしい!トイレに行くときもフラフラするので点滴棒にしっかり掴まり行かないと危ない。
入浴の際さすがに点滴を一旦止めて入ります。その時体内に点滴が流れてない状態にな り、張りやすく さらに入浴中はそうでなくても張るのでダブルパンチなのです。
聞く話によると、入浴後、点滴を繋ぎ直さないで髪の毛を乾かしていたらそのまま陣痛が来て出産された方がいるそう。怖っ!!
だから、病院ではお風呂上がったらすぐ点滴を繋ぐ事を徹底してるそうです。
安静度2になってしまった!!車いす生活へ(31w5d~33w1d)点滴生活 3週間後
副作用にも慣れ頚管長が15㎜に回復。当初の目標32週を目の前にした時、4人部屋から8人部屋の移動をしました。なぜなら、入院当初、無料の部屋を希望していましたが、部屋が空いてなかったので、有料の4人部屋に入院していたからです。
しかし、無料の8人部屋に移動しましたが全然落ち着かない!!
1日目だからかもしれませんが、四六時中誰かがNST、ナースコールなどでざわざわ。
自分のテリトリーが狭くなり、両隣に常に患者さんがいる状況で寝たいときに眠れない。しかも夜はいびきをかく人もいてぐっすり寝れない…。
4人部屋の時は、常に満室ではなかったので、あまり人の気配を感じずだったのに。やっぱり同じ部屋の面積に4床と8床とでは全然一人のスペースが違います。なので8人部屋には冷蔵庫がついていないみたい。。
こんな感じで1日目終了。
そして8人部屋2日目、4人部屋との格差を実感した私はどっと疲れが出てきました。
そしたらお腹が張ってきた!!
NSTを付け、張りを確認。先生と看護師さんが来て、リトドリン2Aから3Aに上げることになってしまった。しかも安静度2にもなった!!なんてストレスに弱いんだ。。と落ち込みました。
点滴を上げたらまた、ほてり、手の震えが出てきてまた起きられない状態になった。私の場合ほてりが目の周りに来て目が熱くてしょうがない。アイスノンを目に置いてずっと冷やしていました。
『お腹の張りはストレスから来る!!』
これは間違いない。皆さんも本当心安らかに過ごすのがいいです。
この状況を見かねた看護師さんから「また4人部屋に戻る??」と言っていただいたので
“お金がかかっても双子の命には変えられない!!”と決死の覚悟で旦那へ相談。
結局8人部屋(大部屋)に移動した翌日に4人部屋へ戻りました。
この時ばかりは自分の精神力のなさを実感しました。トホホ
車いす生活は、トイレ・お風呂・検診すべてが車いす。歯磨きはベッドで磨いたらうがいは入れ物に吐いてそれを看護士さんが流してくれます。看護士さんありがとう💛
お風呂も入れない時は蒸しタオルを借りて全身を拭いたり拭いてもらったり。一番大変なのは弾性ソックスを履くこと。安静度が3でも2でもこればっかりは大きいお腹の妊婦には大変。しかも結構力を入れないと脱げないし履けない。なので私はだいたい週2でお風呂に入っていたのでそこで脱ぐしかしませんでした。
旦那が病院に見舞いに来る日は、旦那が面会にくるまで履かずに旦那が来てから履かせてもらっていました。爪切りもその時に。体を自由に動かせないってこんな不便なんだなって実感。
看護士さんがいるけど、毎回毎回呼ぶのは気が引けるし、爪を切ってもらうなんて恥ずかしい。そういう時は身内の面会者はホントにありがたいなって思いました。
安静度2になって1週間。子宮頸管長や張りの状況を見て安静度3に戻ることができました。
案外安静度が早く戻って良かった良かった。
やっぱり精神的な安定とお腹の張りはつながっているんだなと思いました!
32週も過ぎ分娩に向けての準備が始まりました。
安静度2になったときに、妊娠9か月に入っていたのもあって、主治医と夫と3人での面談をし、現在の状況と帝王切開の説明、同意書を記入や、NICUの看護師によるNICUの説明が始まりました。そして自己血やレントゲン、心電図もやっていきました。
自己血とは、帝王切開中に平均1000ml~の出血があるそうです。そこで輸血をするのですが、他人の血ではなく自分の血液を採取して輸血に使う方法です。
自己血に向けて妊娠中貧血状態だった私は、1か月前から貧血を直すために、フェネルミンという鉄剤を飲んでいました。このフェネルミンすごく便秘になる!!この時期から前よりも便秘薬(マグミットとピコスルファート)を服用し、さらに自分でも自然に出るように便秘に効く飲み物(豆乳、ヤクルト、黒酢ドリンク)や食べ物(芋切り干し)を食べて乗り切りました。
しかし内服だけでは貧血は改善せず、今のままの数値だと自己血が採れないという状況だったので、最後の手 点滴でフェジンという鉄剤を体に送り込みました。見た目は茶色、錆びた鉄のいろをしていました。これを10日間続けて数値がUP。無事自己血の日を迎えることが出来ました。できれば自分の血を輸血されたいですもんね!
私は、1回300ml×2回を採血しました。
点滴したまま車いすで採血場に行き、お腹の赤ちゃんの様子と張りを見るためにNSTをつけながらの採血でした。採血開始!平均で20分くらいと聞いていたのですが、自分は血が出るのが良いのかたった10分!!!早い!順調で何よりでしたが、一気に抜かれたため貧血のような目が回っている感じと点滴のせいもありますが動悸がしてきてしまいました。病室に戻り数時間は寝てしまってました。2回目はそうならないように採血のあとブドウ糖を入れて頭がもうろうとするのを抑制してもらいました。
34w6d リトドリン点滴→内服→点滴なしへ
34週入りました。いよいよリトドリンを下げていき、最終的にははずしてく週数になりました。よくここまで来たな~。と思いましたが、ここからが問題です。なぜなら先輩妊婦さん達を見てきたり、話をきいたりしていて、
リトドリンを減らしていく最中にみんな陣痛来て出産している!!!!
私もそうなるのではないかとハラハラドキドキでした。
私の考えでは、1週間ごとに徐々に減らして帝王切開ギリギリまで点滴をしていられるのかなと思っていましたが、約8日間で3A→2A20→2A15→外してリトドリン内服というスケジュールでした。リトドリンの濃度を下げた日の夜は毎回身体が変化に対応していたため、お腹がパンパンに張っていました。何回もNSTを付けて張りを確認したり、先生を呼んだり「先生、今日生まれるかもしれません。」と弱気発言連発していました。先生が「もう準備は万全だからもし出産になっても大丈夫ですよ。でも眠れそうなら寝てください。」と。私もお腹は張りますが夜中で眠いから寝たいーと思っていたので、「じゃ、寝れそうなら寝てみます。」そんな山場を3回位ほど繰り返しました。
そして無事にリトドリンをはずすことができました。そしたら今まであった張り返しは嘘のように収まり、ただの妊娠後期にみられる張りだけになっていました。
私は奇跡だ!!と思いました。まあ、1人目の時全然陣痛来なくて予定日7日過ぎ、そこから促進剤3日やっと陣痛来て産んだ身体だから陣痛が起きづらい体質なんだろうなと感じました。
点滴が外せたら、一時退院も出来る感じでしたが、私の双子は普通よりも小さめだったので一時退院せず、今度は双子の管理入院という名目で入院生活が続いていきました。
この時予定帝王切開日まで12日。
コメント
20週の頃から頚管長が13〜20mm、今24週で12.8mm。
頚管長が短くても出産を迎えることが出来る可能性があるのだと、とてもこのブログで励まされました。
何より早産や後遺症のリスクがどれぐらいなのか、数値として表にして頂いていた事で必要以上の不安を感じて過ごす方がストレスだと前向きな気持ちになれました。
貴重な経験談を残していただきありがとうございました。
ゆいさん
コメントありがとうございます。お返事遅くなってすみません。
20週台はとても不安でした。毎日カレンダーを見て、一日づつ月日が経つことをありがたく、
早く赤ちゃんが生まれても大丈夫な週数になって欲しいなと祈るように過ごしていたことを思い出しました。
そろそろ30週に近くなった頃と思いますが、点滴なしで過ごせていられればいいなと思いお返事を書いています。
またわからないことなど、聞きたいことありましたらコメント頂けると嬉しいです♪
私は”心安らかに”と看護師さんに言われ、不安な時も楽しいことを考えて過ごしていました。
ゆいさんも無事に赤ちゃんに会えるように応援しています!!